字駄楽ト界

Life is a jest,

生活

最近、技術の進歩は文化にほとんど寄与しない、と考えるようになった。生活、と言い換えてもいい。

先週の1日を振り返ってみる。
朝、単身者向けの賃貸マンションで目を覚まし、窓を見るとどんよりした天気。ふと休みたくなり、仕事上の重要なタスクを脳内でリストアップし、結果ズル休みすることを決意する。

会社に電話した後、目覚ましを消して二度寝。10時半ごろに目を覚ましてまず歯医者の予約を入れる。
この際確かにスマホを使用したが、電話番号を調べ、電話で予約を行なっただけだ。ちなみにその歯医者は紙のカードの裏面に予約日時を書き、もちろん現金払いのみ受け付けている。

昼飯のためチャリに乗って外出。自炊はずいぶん昔に諦めた。適当に入ったことのない店を探し、おにぎりカフェというところでランチプレートを頂く。言うまでもなく現金払いだ。
その後、図書館へ。この図書館、WebページのUIがクソで非常に使いにくいため、直接司書さんへ訪ねてキングのミスターメルセデスを書庫から出してもらう。ついでにこの本ありますか、と飛浩隆さんの新刊を訪ねたら無いのでリクエストしてくださいとのこと。書名・作者・出版社などを書く紙を渡される。一応確認してみたが、Webページ経由では申請は不可らしい。
必要事項を書いてて渡すと、書庫から出すのに15分くらいかかるとのことで、その間ついでに借りる本を探し、上田早夕里さんの夢みる葦笛を手元へ。人気本コーナー、というところで立ち読みし、林真理子下流の宴を読む。思ったより面白く、1/3ほど読み進めるが鞄を持っていなかったため次回借りることとした。

話は変わるが、本を借りるとき「何か袋はありますか」と訪ねて手渡されたのが、仙台銘菓の紙袋だった。あの道の駅とかで土産を買ったときにもらえるやつ。大阪市の、一番大きい図書館で。びっくり。
というのもこれ多分司書さんたちが私物をわざわざ家から持ってきてストックしているからだ(もちろん無償で)。かつて地元の小さい図書館でも出入り口にそういう紙袋が「自由にお使いください」のポスターと共に積まれていたが、まさか大都市の中央図書館でも同じ有様とは。もし私が政治家になったら司書さんがこんな涙ぐましい努力をしなくてもいいように潤沢な予算を割り当てたい。

話を戻す。その帰り、寄ったことのなかったカフェを発見し自転車を止め入ってみる。さすがに平日の昼下がりで客は誰もいない。また話が逸れるが、安スーツ(着替えてからサボることを決意した)の上下にスニーカー、その上仙台土産を提げ自転車に乗って真昼間から本を読みにきた客ってどんなふうに見えるのだろう。店側からしてみたら結構ナゾだ。
内装がとても好み(配線むき出しの内装にモダンな椅子とテーブルが雑然と配置)だったが、コーヒーがフツーな上に砂糖とミルクがそれぞれ「匙で掬う上白糖」、「使い切りのコーヒーフレッシュ」だったため行きつけにすることはないだろう。ただパフェはなかなかおいしかった。

その後一旦帰宅し、少し部屋の片付けなどをしてから歯医者へ向かう。詰め物をするだけで30分たらず。2,090円也。
帰り、ケーキ屋で気になっていた「ケーキ屋のサンドイッチ」なるものを買う。ふんわり甘く今まであまり食べたことのない味だったがこれも広告曰く「クセになる」ほどのものではなかった。というかメシにするには甘すぎる。帯に短し襷に長し。

そうしてだらだらと本を読み、ペルソナQを進め、PCを弄ったりしながら、日記を書いている今に至る。

さて。
1日の過ごし方がズル休み含めて中学から一切進歩がない点には一旦目をつぶっていただくとして、この休日に21世紀の要素がいくつあるだろうか。 こうやって書きだしてみると改めて思うのだが、私にとってはゲーム機以外ほとんどない。
働いて、食って、暇をつぶし、寝る。この20年何か本質が変わったことは果たしていくつあるのだろう。

確かに私がラガードなだけかもしれないが、これでもAlexaの安いやつと学習リモコンを買って、やれスマートホームだなんちゃら革命だという言説を調べるくらいはした。
それで結局何ができるんだといえば、25kするIoT基本セットを買ったところで「窓をちゃんと閉めたか遠くから確認する(閉めることはできない)」ときたもんだ。

虹色に光るスピーカー付き電球とか、USB給電の流しそうめんマシンと同じくらい「後から考えると俺らもアホだったよな」的案件だと思うんだが、これを売ってんのは泡沫の電気屋ではなく欧州の一流メーカーだという。
こんなのぼくたちが夢見た21世紀じゃないよ。全然、まったく。