字駄楽ト界

Life is a jest,

(エンターキーを強く叩く)

フィクション上のハッカーは、shiftが必要な文字をどうやってあんなスピードで打ち込んでるんだろう。以前からの疑問だ。
高速でcaps lockしてるんだろうか。ただ、個人的にはcapsをctrlにしている人の方がスゴ味がある・・・!と警戒する。
JP特有の問題かとも思ったが、USキーボードのmacを使ってもshiftが必要な記号はやっぱり多い。
わざわざUS配列にしたのはスーパーハカーを目指してるからではなくて、一回も使ったことのない「かな入力」の情報が印字されていることに我慢ならなくなったからだ。
というか、私は東野圭吾以外で「かな入力」を使っている人を見たことがない。システムとして捨てるのは無理としても、全部のキーボードに標準で載せるのはそろそろやめてもいい頃合いだと思うんだけど。

話は変わるが、例えば「剣の達人」を映像化したい場合、その人が華麗に剣を振り回して敵を斬れば良い。殺陣とは剣の可視化だ。
サッカーが上手いでも天才詐欺師でも偉大なる軍師でもとにかくそれは映像化できる。してきた歴史がある。
しかし、ことハッカーを映像化しようとすると、彼のプログラミングスキルはキーボードをどれだけ速く叩けるか、つまりカタカタカタ...ッターンでしか表現できない。
これは不幸なことだと思う。

そう、ハッカーのスキルというのは本当に映像化しにくいんだ。
別に、ブラックマンデーのファルコンを指してこんなんハッカーちゃうやろ(笑) って言いたいわけではない。
いや、ホントはちょっと言いたいけど、それはルフィーにこんなん海賊ちゃうやろ(笑) っていうのと変わらないしあんまり意味がない。
映像化が困難なことの何が問題かというと、「ハッカーのスキルの上達」というフィクションが描けない。

ちょっと思い出してほしい。今までフィクションで出てきた「ハッカー」属性持ちは、すでにスキルがカンストしてるようなやつしかいなかった。
だからライバルと競い合いながら上達していく、という筋書き(Ex. バカボンド,セッション)でハッカーが主人公になった例はあまりない。尚、マトリックスのネロはコメントし辛いのでいったん措く。

前置きが長くなったが、今回はそんな「ハッカーが成長する」マンガを紹介したい。
タイトルを王様たちのヴァイキング、といい、天才ハッカーの高校生がなんやかんやする話だ。

結局天才ハッカーじゃん、と思った人はちょっと待って欲しい。この是枝くん(主人公)は一味違う。
彼は確かに天才ハッカーだが、高校中退、コンビニバイトをクビ(おでんの大根がキレイだなって見つめてたため)、重度のコミュ障、いじめられっ子、とPC以外はすべてダメダメだ。そんな彼が、もう1人の主人公である、エンジェル投資家の坂井大輔(向かって右の人)と組んで「世界征服」を目指す。ワクワクする導入ではないか。

ところでこのマンガはプログラミング経験はあるよ!って人にもおすすめできる。
なんたって是枝君のマシンは改造ThinkPad x41、OSはカリカリにチューニングしたUbuntu12.04だ。ファルコンのカッコいい独自GUI搭載のシステムとは訳が違う。
しかも、そのPCの装飾もこれがサイッコーにKOOLなんだ。ステッカーぺたぺた系Lv100、みたいな。詳細は実際に読んで欲しい。今後10年、ドラマのハッカーキャラの使うラップトップはコレと(MacBookはありふれ過ぎてるので)VAIOの無刻印キーボードのやつでいいんじゃないか。

あと作中で主人公が作ったhtmlが映るんだけど、これが見た瞬間「あ、これ頭いい人が作るやつだ!」と分かるタイプのHPで、そういう芸の細かさがとても楽しい。
なんというか、有能な人が技術ログとTipsを淡々と公開しているシンプルなwebページみたいな。

しかも、遠隔地の2人がひたすらパソコンを..ッターンし合って、片方に勝利を明確に意味するウィンドウが出たあともう片方がクソってラップトップを乱暴に閉じるようなハッキングバトル(今名付けた)もこの作品には無い。
それなのに、ちゃんと悪いやつとハッキングを武器に戦っている。スゴイ。

その他にも色々な時事ネタにも対応しており、読むとちょっとITの知識も付く。しかも説明が丁寧なマンガなので、USBの知識がなくても楽しく読むこともできる。

当ブログはそんな王様たちのバイキングを応援しています。

よし、この締めを一回書いてみたかった。

-logy

たまに、特定の単語から猛烈なSF感を惹起されることがある。伊藤計劃さん曰く、透明マントは光学迷彩と呼称されたとき、これはヒミツ道具ではなく光学的手法を取り入れた迷彩模様である、と再定義され、本格SFにすら耐えうるアイテムになったのだ、と。適切な2つの単語をただつながるだけで、これほどの「フシギさ」を提供できる。

「金融老年学」

この単語のパワー、なかなかすごくないか。
日本にある金をグラフで表示すると、その1/3 は高齢者が保有している。対して20代が所持する預金は1%、有価証券の所持率は0%で、認知症患者の持つ総資産額は215兆円にのぼるそうだ。
そこでこのデータを眺めていた頭のいい人たちは気がづいた。だったらもう金融商品自体を研究するより、老人をエンジニアリングした方が効率が良いじゃん、と。全く何たる発想の転換か。
バリバリの証券マンが、預金を自社に預けて運用してもらうため、おじーちゃんおばーちゃんの話を孫よりも丁寧に聞く。その方法が、既に学問化されている。おじーちゃんおばーちゃんに老後はこれで安泰ですよと信じてもらうメソッドについて、論文が書かれ、学会が発足し、批判されたり補強したりしている。お金持ちにやさしい社会。

現実というのはかくもあっさりSFを越えてくるから全くステキだ。

ラストワンマイル

この単語は、もともと通信業界の用語だった。
wikiにはこうある。

通信事業者にとって、幹線を延伸拡充することに比してそれらを利用者(利用場所)まで分岐敷設することは多大な原価や資源を要する。 この原価・資源を要する問題を指す用語として「サービスが顧客に到達するための最後の区間」という意味で「ラストワンマイル」という名前が付いた。由来は加入者局から顧客の建物までの距離が平均的に約1マイル(=約1.6km)であることによる。

それが、運輸業界でも同様の問題が見られることから、この単語を転用した。

容量の大きい貨物駅 または港に到着した物は、その後最終目的地に輸送しなければならない。サプライチェーンにおいてこの最終区間は効率性に劣ることが多く、物流にかかるコスト全体の28%までを占める。

だがこの単語、もっと広い範囲をカバーできると思う。 具体的に言えば、スケールメリットが及ばない、どうしても個々の状態にアジャストした作業が必要な部分を指す言葉として。

例えば、少し前にスマート家電がぜんぜんスマートじゃない、という話を書いた。 これは何も私だけの意見ではない。なにせ、現状ありとあらゆる家事を行っている母親がスマート家電に一切興味を持っていないのだ。
(なんかの折に贈ろうとした)

これがすべてを表しているのではなかろうか。CMですら、Alexa が活躍するのはレゴで物理的に足の踏み場がなくなった家に限ると宣伝している。
もし家電がスマートと名乗りたいのならば、少なくとも玄関を閉じたあと、自動で洗濯し、乾燥し、それに必要な洗剤の投入であるとか詰まったフィルタの掃除を自動で行わなければならない。また自動で掃除し、それに必要なセットアップを行い、結果集めたごみを所定の場所に捨てなければならない。

しかし、家電においてこれを解決するには、住宅の構造や行政システムまで巻き込んだ抜本的な構築が必要だ。住んでる家の内のラストワンマイル。ワンメートル、だろうか。

星新一の時代には、例えば都市中に空気圧で動作するパイプを巡らせ、人間と同じ形をしたロボットが人間と同じ動きをすることでこの問題を解決した。

天井にレールを走らせ、でかい汎用アームロボをぶら下げて家中のオブジェクトにRFIDを取り付けるのは、伊藤計劃がハーモニーで提示した未来だ。

こういうマクロなレベルでの解決策が必要にも関わらず、それを見ないふりして、ありとあらゆる家電メーカーが能天気に「えーあいときょーちょーするすまーとなかでん」による未来を謳っている。
しかし今のところどれも自社のエコシステム内でゴニョゴニョやるのに精一杯で、だから私はこの現状が絶望的につまらないと思う。
というより、このラストワンメートルをどうにかしない限り、キャズムを超えられないだろう。

ただ、好きなブランドの贔屓目だが、もしかしたら住宅地の造成から設計できるパナソニックならばちょっとうまいことやってくれるかもしれない。この前パナのでかい工場に行ったとき、その敷地内にポツンと立つ一軒家を目にしたのだ。
一つ一つが体育館くらいあるトタン仕上げのプラントに囲まれたその住宅は不思議な空気を放っていたが、きっとその中では給湯器スイッチ内のボタン電池までがパナソニックのブランドで統一され、ステキな(、けれど実現するとは思えない)機能が満載された家電が、使う人もいない中動いているのだろう。

死を想う

オランダで24歳女性が安楽死を認められたという話を呼んだ。
かの国では18歳以上の安楽死だけでなく、治らない病でひどく苦しむ場合などを鑑みて、未成年のそれも認めているらしい。
この記事を読んでなにより驚いたのが、彼女はそのような余命宣告をされた病人ではなく、希死概念に取りつかれているが肉体的には健常な20代の若者だった、という点だ。
私はこのような制度に対し「生きていればいつかいいことが」的な批判したいわけではない。どちらかというと賛成である。
だが、「肉体的には健常な20代の若者」が自由意思で死を選べることが前提となった社会というのは一体どういうものなのか、恥ずかしながら想像がつかない。

ここ日本で道路を歩くと結構な密度でマンホールがある。それを私たちは知っているが、その地下に暗渠が広がっていることを想像する人は少ない。つまり私たちは都市に排水や電気が流れる薄暗い地下があるなんてことを意識しないで生きている。それと全く同じように、こと日本では死というのは大凡無限遠のかなたにあるものとして意識から除外されていると思う。
対してオランダという国では、人生の期限を、lim->∞ ではなく、0<=x<120 かそこらの変数として扱っているわけだ。日常として死をそばに置く社会。メメントモリ

あの国では性教育にしても麻薬にしても随分あけっぴろげと聞いた。
特に、末期的なヤク中には政府が安価に薬を与える、なんていうのは嘘か本当かはさて措くとして一つの最適解ではないだろうか。
対してよく日本は先送りと事なかれ主義の国なんて言われる。国民ジョーク曰く、Japanese に Yes or No? と聞くと返ってくるのは or だという。ちなみにこれが最近の日本人像だそうだ。
私もそういうタイプだ。はい/いいえではなくウィンドウの閉じるボタンを押す。多分、私の周りもそうなのだろう。
意思疎通が不可能になった祖父が、それでも胃婁と介護施設のベッドを用いて生き続けていたのは、選択肢のデフォルトがそうだったからに過ぎない。決断を先延ばしにして、その間に何かが起こることを期待するわけだ。

判断という行為は苦痛を伴う。大きな決断であればなおさらだ。その痛みを受け入れる社会を構築するにはいったい何をすればよいのか。
むこうの社会が理想だととは思わないけど、その風景は素直に憧れる。

最近は何かと物騒ですから

まっとうな人、というのはフィクションに多くを求めない。かれらは自分の人生に地に足つけてちゃんと愛したり怒ったり悲しんだり笑ったりするから、フィクションにとくべつ複雑なものを期待しない。わかりやすい悪役が出てきて、わかりやすいヒーローが倒す。それで満足だ。
けれど私みたいな、どちらかというとフィクションのために生きている人間は、それじゃ不満だからより刺激のある、先鋭なフィクションを求める。

まどか☆マギカの劇場版を100円レンタルしてそんなことを考えた。この作品はフィクション同士の衝突を描いたものじゃないか、と。

さて。この作品の主人公まどかは「魔法少女」になれると言われてどんな衣装がいいかスケッチしたり、一つ願いをかなえてあげるといわれてもみんなのために戦えるだけで満足と答えたりする『古典』的な人間である。世界に絶望してたり非日常を求めたりしていない。

対して、QBに代表される世界観はかなり『現代』的だ。
これはつまり、魔法少女モノだから敵は都合よく涌いてきます、なんて設定じゃ現代の視聴者は納得してくれない。くれないので、「宇宙の熱量的死を回避するためエントロピー増大則に従わないエネルギーである相反する感情を集めにきた」なんていうお題目をもってくるくらいポストモダンである。
よって、演者は古典で演題は現代、という奇妙なフィクションが生まれることになった。だからまっとうな登場人物の皆さんは非常に苦しむことになる。

例えば、ふつうの『古典』的・ニチアサ的魔法少女モノでは登場人物は死なない。それ以前に、衣装に傷がつくことから禁止されているらしい。だから、まどかは人が死なない世界にアジャストされて設計されている。けれど、まどマギ世界は「エヴァ以降のゼロ年代」仕様なので人類が滅ぶことくらいは想定内だ。だから割と序盤で仲間の一人の首が飛んだり、親友が魔女になったりする。そして、そんな現実をまどかは最後まで受け入れない。

その対立の果てに、この作品はまどかを概念にまで昇華することで世界を『古典』的なフィクションに近づけるというところで幕を閉じる。QBを滅ぼすでも、魔法少女自体を無くすのでもなく、ただ魔法少女が魔女になる、その過程を消滅させる。
つまり、あのにくったらしい「敵役」であるQBは本質的な敵ではない。QBの登場を望む私のような視聴者こそが、あの世界にとっての一番の敵なのだ。

ゲームをプレイするということ(undertale + deltarune雑感2)

セーブとリセットの本質は、当然だが物語の外でその事象が起こるまで任意の回数やり直すことが可能ということだ。
だから時に、ゲーム内部のキャラクタからするとありえない確率の事象が当然のように発生することになる。 常に敵がレアなアイテムを落としたり、クジが大当たりしたり、ステータスが最大値成長したり。

ではこの事象が一方に偏る原因は何か。
セーブも、リセットも、実はそれを可能にする手段であって本質ではない。

それは、ゲームプレイヤーによる「ケツイ」である。

つまりゲームプレイヤーが「このレア装備を手に入れよう」と固くケツイした時、ゲーム内においてその事象はすでに完了しているのだ。

 

今まで雑記はtumblrというサービスに吐き出していたが、私のケータイから見ると文字の一部が隠れるという問題が一向に解決しないのでIDを作っておいたこっちに移動することにした。

というわけで、以下はずいぶん前に書いたunderatale覚書とついに出てきてしまったdeltaruneのメモ書き。以下ネタバレ。

 

異世界スマホとシュタインズ・ゲートの共通点を述べる、という一見狂気じみた記事がある。
(私はこのブログで例の主人公がスマホ太郎と呼ばれていることを知った。爆笑)

が、内容はとても真っ当で「主題(テーマ)に対する真摯さが大事」というハナシだ。前者は「なろう系へのステロタイプ」、後者は「なかったことにしてはいけない」というテーマからブレない作品であり、けものフレンズ騒動にもその観点から触れながらやっぱシュタゲっていいよなと述べている。

さてはて、翻ってこのゲームでは、なんとチュートリアルキャラクタがいきなり"In this world, it's kill or be killed." と宣う。 そして、ほぼゲームクリアまで、誰も「殺すな」とは言わない。殺さない方法や、殺さないで済むとしゃべるやつはいる。でも、「殺すな」とは言わない。

undertaleというゲームは、このセリフに集約されている。 即ち、”kill or be killed.”を肯定するか、否定するか。

もちろん、これを否定することは非常に難しい。殺すにはいつだって"FIGHT"を選べば良い。けれど、殺さないには色々な手段を検討しなくちゃいけない。

しかもこのゲームの1週目のラスボスは、戦闘開始時に"MERCY"を破壊、というものすさまじいことをやってのける。(イメージ的にはマブカプのデッドプールに近い)
だからこれまでモンスターを殺すどころか、一回も攻撃したことのないプレイヤーでも、この戦闘は攻撃する必要がある。
ぶっちゃけこのボスがクッソ強く、TPルートは私の腕では到達できないんじゃないかと思っていた。

だからこそ、こちらを殺そうとしてくる敵を、たったの一度も殺さなかったTPルートの世界は、本当に素晴らしい。全てのいざこざが解決され、お互いに許し、笑う、理想郷である。この世界には、たった1人、間違えて殺してしまってもたどり着くことはできない。

Do you think any of those monsters have families?

Do you think any of them have friends?

Each one could have been someone else's Toriel.

Selfish brat.

Somebody is dead because of you.

-Flowey

対して、”kill or be killed.”を肯定したらどうなるか。この場合は大体Nルート、つまり普通のルートとなる。終わり方も凡庸だ。地下に落ちた主人公が、ふつうに地上に帰る。面白いことに、出会った奴らを全て殺し続けていても、このルートだ。

では、Gルートに行くには何が必要か。

簡単だ。文字通り生きとし生けるもの全てを殺さんとするケツイである。

つまり、エンカウント率がどんどん下がるダンジョンのなかを、何かに取り憑かれたように這い回り続け、最後の一匹に至るまで殺し続けてようやく、このルートが解禁される。そう、恐ろしいことにこのゲーム、戦闘回数が有限なのだ。だからこそ、ザコ敵はただのザコ敵ではなく、先ほどのFlowey のセリフにもある通り、この世界に暮らす一つの存在となる。
(というか、戦闘回数が有限のRPGってのはちょっと思いつかない。近いのでBoF5とかいう怪作くらい)
そこまでのケツイの果て、命あるものを全て滅ぼし、膨大な数の攻撃パターンを覚え、最強のボスすらついに殺し、そのさきに一体何があるか。

私はこれが非常に良くできていると思うのだが、その答えは無だ。何もない。
全てを壊した後の虚無。だって、あなたはこの世界を憎んでいたでしょう?
いや、違うんだ、ただ見たかっただけなんだ、と言ってももう遅い。だって地下世界の人々は、あなたによって1人残らず殺されてしまったんだから。

さて。プレイヤーの選択によって、つまり”kill or be killed.”を肯定/否定するかによって、ここまで物語の結末が異なる作品は、これまであっただろうか。

私がなぜゲームをプレイするのかといえば、前も述べたとおりゲームでしか語り得ない物語というものがあり、そしてそれは、システムと音楽と絵の調和によって、他のどんな媒体で語り得るより素晴らしいことがあるからだ。
そういう意味で、undertale は私がこれまで遊んだゲーム全ての中で最も面白い作品と言える。

 

さて。以下、上記を踏まえた上での deltarune の疑問点。

というかこのゲームになぜこんなにもナゾが多いのかというと、「主人公が住む異世界(Lightener)」から「主人公も知らない異世界(Darkener)」へ飛ばされて冒険するハナシにも関わらず、この両世界同士の成り立ち/位置づけやundertal世界との関連が現状では一切分からないためだ。

  • そもそもどこだここ Lightener編

    • 公式より並行世界説とのことなのでどういう場所なのか考えてみる
      • 案1 Monster がHuman に勝った世界
        • ごく普通にMonster 達が地上にいるから
        • 町の南にある地下扉を開けると地下に閉じ込められた人間の町が広がっている的な
          • 「ベッドの下に人間がいると怯えていた」女の子がいる
          • とするとなんで普通な顔をしてKris がいるのか
            • Kris以外の人間は滅ぼされた説
              • そらあんな顔色にもなる
              • Human の立ち位置というか人権はどうなっているのか
      • 案2 Gルート後の再生成された世界
        • GASTER っぽいのもいるし
        • とはいっても、じゃあなんで「この世界」なのかが全然分かんないので考察の意味は薄い
    • 全体的になんか不穏
      • Krisのケータイの連絡先が自宅のみ
        • Asriel くらい持っててもいいんじゃない
      • Kris とAsriel の部屋の格差
      • Undyne と Alphys、Asgore と Toriel、Catty と Batty(Hotelの二人組)が不仲になってる。
        • 全員仲が悪いわけではなく、例えば警備員カップルは仲良しのまま。
        • Toriel と Asgore はなんで別れてるのか。
          • 明確にToriel の方から別れたようだが理由は現状分からない
            • 実は花屋の7色の花がHuman を苗床として咲く花だったり
              • とするとAsgore がちょっとシャレにならないサイコになる
        • Toriel とAsgore のLightener における立ち位置は
          • 一応花屋がKing Flower という名前だったり、Toriel がAlphys の教員採用について横車を押したりしてる
        • Lightener におけるDELTARUNE の意味は
          • OPの伝説はLightener 側でも語り継がれているのか
          • よりにもよってundertale 世界でDELTARUNE について言及したGerson が逝去している。
      • Asrialについて
        • なぜ大学に行っただけなのに町の住民はみんな「遠くにいってしまった」扱いをするのか
        • 彼が生存してるってことはFlowey は存在しないのか
          • Asgore の花屋にそれっぽい花はあった
      • そもそも各地方にいたボスモンスターがこの町に雁首揃えているのに理由はあるのか  
  • そもそもどこだここ Darkener編

    • OPの伝説はなにを意味するのか
      • 要約すると、光と闇の調和が破れ世界が滅びかけたときにに3人の勇者が現れ、「天使の楽園」を破壊し闇を封印して世界を救う、というハナシなんだが、それがなぜdeltarune というタイトルなのか
        • 特に理由のない暴力が「天使の楽園」を襲う
        • 天使についてはundertale でGerson が言及してた。
      • というか噴き出る闇って何
    • 物語開始時点でLightener 世界はDarkener 世界をどのように認識してるのか
      • 少なくともKris とSusie は一切知らなかった様子
    • なぜ学校の倉庫がDarkener に繋がっているのか
      • 脱出後の倉庫に散らばっているものたちがDarkner 世界を象徴している意味は
      • FFTA2 というゲームを思い出してクッソ懐かしくなる
        • ただ上記と違って「なぜ迷い込んだのか」も明らかにならない(FFTA2はとある本を開いたから)
    • セーブの位置づけ
      • Determination ではなくなっている
        • GASTER が暗躍してる可能性
      • Lightener 側にはそもそもない
    • Darkener に落ちると装備とシステム表示が変わる意味
      • Susie Ralsei Kris がOneshot よろしくきれいにRGBになってる
        • Ralsei とKris は赤(ピンク?)の差し色入り
    • なぜここで電話するとGASTER っぽい音がするのか
    • なぜUNDERTALE 世界のキャラはLightener 側にのみいるのか
    • 謎の騎士とは何者で何が目的なのか  
  • Krisについて

    • 顔色悪すぎない?
    • キャラクターメイクでの設定や 緑のクレヨンが無い、といった言及からEight Human の誰かかと思った
    • 今日はいつもより喋るね、といった言及や(赤い)ハートを抉り出してオリにぶち込む仕草から、プレイヤーによって操作されることを自覚している(そしてそれを快く思っていない)キャラクターだとも考えらえれる
      • 敵を殺さない(せない)のはそのあたりが原因?
      • だとしたらプレイヤーのDetermination で全てが決まるundertale 世界へのアンチテーゼか
        • キャラメイクのシーンにしろ、Susie が選択肢を無視してくるシーンにしろ、今作は選択には意味がないというテーマが強い
    • Kris と Frisk
      • ただのアナグラムではなく、Fが抜けているのに何か意味は?
        • チーム名結成以降のSusie とLancer の会話に見られるF word 禁止みたいな話と何か関係あるのか  
  • Susie について

    • (恐らく)UNDERTALE世界とはかかわりのないキャラク
      • 一応Clam girl がSuzy については言及している
        • Friskと友達になれるはずの、近所に住む女の子とのこと
    • なぜあんな凶暴な性格なのか
      • ゲーム内でも特出して暴力的。但しLV1
    • なぜチョークを食べるのか
      • なんかの小説で妊婦の異食症の例としてチョークを食べるってのがあった気がする
        • というかあの世界の子供ってどうやって生まれるんだ
        • エデンの東のキャシー(思い出した) めっちゃ悪いやつ
      • ただ「宝石の形をしていないと食べない」という子供NPCがいたので、Monster サイドでは学校で煙草を吸うくらいの位置づけなのかも
    • 他のクラスメートが町にいるのに比べてなぜか彼女は町にいない  
  • Ralsei について

    • かわいい
    • 適宜だきしめたい
    • 彼が住む闇の王国と、謎の騎士によってメチャクチャにされたCard Castleの関係は
      • 檻の場所で何もイベントが起こらないのためあまり関係ないか
    • 帽子を脱ぐと思いっきりAsrial(ツノあり)だが、デフォルトで黒いのは単に帽子のカゲなのか、それとも帽子の不思議な効果なのか
      • Asgore が立派なツノを持っていることを考えるに、Asrial も大学生ならあんな感じになるものと思われる
      • 但し、Kris は置いといても Asriel のことを知っているであろうSusie が素顔見せられた際に無反応だったのでLightener 側のAsriel はなんか違う可能性がある
        • Chara が Asrial って名前で育てられてるとか  
  • 総括

    • とても楽しいゲームだった。
      • が、UNDERTALE をクリアした人向け、と書かれている割に現状その要素が無い
        • LV と EXP が現状死にステータス。略もUNDERTALE準拠でいいのかも謎
      • 作ったキャラクタが棄却される意味とは
      • 今回の導入画面はGASTERか
        • SURVEY_PROGRAMは一体何を調査してるのか
    • Chapter 1 をクリアした時点ではこのゲームの目的が示されていない
      • 闇の泉は封印したし
      • Kris と Susie も元の町帰れてるし
      • Ralsei はかわいいし

その他

  • 適当な大きさに閉じた世界とか、説明なく転がっている現代的なアイテムとか、世界観が洞窟物語にちょっと似ているんだけど、一番これはと感じたのがNewHomeで流れる曲のタイトルが"Undertale"というところ。洞窟物語も最終盤のステージで流れる音楽がOPで流れる曲と同一で、タイトルが”洞窟物語(大農園)”
  • ちていちほーというUNDERTALE*けものフレンズの二次創作群があって、この世界観の互換性がほんと半端ない。Sans/Papyrusフェネック/アライグマなんてもうほぼそのまま使える

生活

最近、技術の進歩は文化にほとんど寄与しない、と考えるようになった。生活、と言い換えてもいい。

先週の1日を振り返ってみる。
朝、単身者向けの賃貸マンションで目を覚まし、窓を見るとどんよりした天気。ふと休みたくなり、仕事上の重要なタスクを脳内でリストアップし、結果ズル休みすることを決意する。

会社に電話した後、目覚ましを消して二度寝。10時半ごろに目を覚ましてまず歯医者の予約を入れる。
この際確かにスマホを使用したが、電話番号を調べ、電話で予約を行なっただけだ。ちなみにその歯医者は紙のカードの裏面に予約日時を書き、もちろん現金払いのみ受け付けている。

昼飯のためチャリに乗って外出。自炊はずいぶん昔に諦めた。適当に入ったことのない店を探し、おにぎりカフェというところでランチプレートを頂く。言うまでもなく現金払いだ。
その後、図書館へ。この図書館、WebページのUIがクソで非常に使いにくいため、直接司書さんへ訪ねてキングのミスターメルセデスを書庫から出してもらう。ついでにこの本ありますか、と飛浩隆さんの新刊を訪ねたら無いのでリクエストしてくださいとのこと。書名・作者・出版社などを書く紙を渡される。一応確認してみたが、Webページ経由では申請は不可らしい。
必要事項を書いてて渡すと、書庫から出すのに15分くらいかかるとのことで、その間ついでに借りる本を探し、上田早夕里さんの夢みる葦笛を手元へ。人気本コーナー、というところで立ち読みし、林真理子下流の宴を読む。思ったより面白く、1/3ほど読み進めるが鞄を持っていなかったため次回借りることとした。

話は変わるが、本を借りるとき「何か袋はありますか」と訪ねて手渡されたのが、仙台銘菓の紙袋だった。あの道の駅とかで土産を買ったときにもらえるやつ。大阪市の、一番大きい図書館で。びっくり。
というのもこれ多分司書さんたちが私物をわざわざ家から持ってきてストックしているからだ(もちろん無償で)。かつて地元の小さい図書館でも出入り口にそういう紙袋が「自由にお使いください」のポスターと共に積まれていたが、まさか大都市の中央図書館でも同じ有様とは。もし私が政治家になったら司書さんがこんな涙ぐましい努力をしなくてもいいように潤沢な予算を割り当てたい。

話を戻す。その帰り、寄ったことのなかったカフェを発見し自転車を止め入ってみる。さすがに平日の昼下がりで客は誰もいない。また話が逸れるが、安スーツ(着替えてからサボることを決意した)の上下にスニーカー、その上仙台土産を提げ自転車に乗って真昼間から本を読みにきた客ってどんなふうに見えるのだろう。店側からしてみたら結構ナゾだ。
内装がとても好み(配線むき出しの内装にモダンな椅子とテーブルが雑然と配置)だったが、コーヒーがフツーな上に砂糖とミルクがそれぞれ「匙で掬う上白糖」、「使い切りのコーヒーフレッシュ」だったため行きつけにすることはないだろう。ただパフェはなかなかおいしかった。

その後一旦帰宅し、少し部屋の片付けなどをしてから歯医者へ向かう。詰め物をするだけで30分たらず。2,090円也。
帰り、ケーキ屋で気になっていた「ケーキ屋のサンドイッチ」なるものを買う。ふんわり甘く今まであまり食べたことのない味だったがこれも広告曰く「クセになる」ほどのものではなかった。というかメシにするには甘すぎる。帯に短し襷に長し。

そうしてだらだらと本を読み、ペルソナQを進め、PCを弄ったりしながら、日記を書いている今に至る。

さて。
1日の過ごし方がズル休み含めて中学から一切進歩がない点には一旦目をつぶっていただくとして、この休日に21世紀の要素がいくつあるだろうか。 こうやって書きだしてみると改めて思うのだが、私にとってはゲーム機以外ほとんどない。
働いて、食って、暇をつぶし、寝る。この20年何か本質が変わったことは果たしていくつあるのだろう。

確かに私がラガードなだけかもしれないが、これでもAlexaの安いやつと学習リモコンを買って、やれスマートホームだなんちゃら革命だという言説を調べるくらいはした。
それで結局何ができるんだといえば、25kするIoT基本セットを買ったところで「窓をちゃんと閉めたか遠くから確認する(閉めることはできない)」ときたもんだ。

虹色に光るスピーカー付き電球とか、USB給電の流しそうめんマシンと同じくらい「後から考えると俺らもアホだったよな」的案件だと思うんだが、これを売ってんのは泡沫の電気屋ではなく欧州の一流メーカーだという。
こんなのぼくたちが夢見た21世紀じゃないよ。全然、まったく。