字駄楽ト界

Life is a jest,

無望

よく、ゆとり世代である、と言われる。実際にそういう教育を受けて育ったので文句はないが、その言葉が口の端に上るときにはこいつらは理解できないというニュアンスが多分に含まれているわけで、ならば私の視点を頑張って言語化しようと思い立った。

なんでも、人間というのは自分より大きい欲望は理解できても、小さい場合は理解できないそうだ。
一応断っておくと、私個人の思想は「モーレツ」的価値観とは対極だと思っているだけであって、私と同年代の人間がそうだというつもりは毛頭ない。

私は帰属意識を持つコミュニティは特に持っておらず、定期的に人間関係をリセットしたくなるような人間である。
だからか人生で達成すべき目標とか夢とか希望は特に無い。故に出世しようとも思わんし身を粉にして社会/会社に貢献、なんて気持ちは微塵もない。働くのも自販機でジュースを買うのと同じだ。

ボスを倒すにあたってその手段が教えられるゲームは悪いデザインだ。良いゲームは適度なヒントを与える。
あまつさえ、ボスがいないのにボスを倒す手段だけ充実しているゲームがあったら、それはもうゲームとして成立していない。思うに現実のクソさの原因はこの辺だろう。

ところで日本は昔から"「働くことの意識」調査結果"というのを取っているそうだ。
それを見ると、項目には[働く目的]には[楽しい生活をしたい],[経済的に豊かになる],[自分の能力を試す],[社会の役に立つ]といった回答が、[会社の選択理由]には[能力・個性を生かせる],[仕事が面白い],[技術が覚えられる],[会社の将来性]といった回答が並んでいる。

全く、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。そもそも働く動機がすべて正の方向を向いていると疑ってすらいない点で論外だ。

私が働くのはそうしないと食えないからであって、そもそも出来るなら働きたくない。
会社の選択理由も、内定が出た中で一番給料が高かったからだ。

そもそも就職活動も、新入社員たるもの須らく目的と目標を持たねばならんという暗黙の了解を基に行われている。
(だからもちろん私もそういうので満ち溢れているふりをして、向こうはそれを見抜けなかった。ま、そういうわけだ)
ただ暮らしたいだけで高望みはしないし、そもそもそんなもの持っていない。そういう層を天から無視して「仕事こそ生きる意義!」,"Ikigai is god!"と百万遍念佛の様に繰り返すことは、結局弊害の方が多いだろう。

労働は確かに必要ではあるが、それは必要悪と同義だ。働くことは手段であって、決して目的ではない。
最近はやりの効率化というのは畢竟仕事を減らすことで、ならばどんどん効率を改良して労働時間を削減し人間はサボればいいのに、そもそも働かなければ(若しくは働けないことを証明しなければ)金はもらえない。
この辺、システムとして何とかできないものだろうか。

人生死ぬまでの暇つぶし、世の中に 寝るより楽は なかりけり、Life is a jest, All things show it. 人生は何かをなすにはあまりにも短いが…といった口先ばかりの警句を弄しつつ、日々それなりに寝て起きて情報を代謝できたらそれで良いと思っている。趣味は読書、音楽、映画だがどれも暇つぶしの域を出ず、それの為に生きていると言えるほど積極的にはなれないから。
そうすると老後寂しいよ的なことを言われたことはあるが、老後の寂しさを理由に結婚したり子供をつくったりする方が寂しかないか。自分でもポストモダン動物化してると思うが、対策は思い浮かばないしそもそも対策すべきなのかも分からない。

そして都会で独り暮らしを始めたことで、より一層人間から遠くなった。正直、特に好きでもない会社の人と顔を合わせるだけの毎日だと風呂に入ったり新しいシャツで出勤する必要性すら薄らいできた。

ただ、モノを捨てるのは好きなので、住んでる部屋はどちらかと言えばきれいな自信がある。
私がセルフネグレクトと診断される場合、ゴミ屋敷ではなく、なんもない部屋でボーっと寝っ転がっているような気がする。

というより私の思考は「無い」が基本なので、宗教にハマるとか恋人ができるとかそういう大きな出来事があったら全てひっくり返るとは思う。
思うが、これまでの人生で「あった」ことがないから、経験としてこれからも無いんだと思う。こういうのを獲得された無力感、というそうだ。

全部嘘だ 全部嘘だ って言ってたら全部無くなった
愛する理由が無くなった 殺さない理由が無くなった
アノミー / amazarashi

とまあ、そんな感じだ。