字駄楽ト界

Life is a jest,

この物語はフィクションです。 以下略

日本という国で、2011年3月11日に大きな地震が起こった。

サンテンイチイチ、と言えば大体の日本人に通じる。

それは未曽有の、観察という方法が整備された近世以降最大の地震だった。

しかし、残念ながらその「最大」は、日本全国の日常を壊せるほどに強くはなかった。

正直なところ、失望したのだと思う。なんだ、こんなものか、と。「観測史上最大」ですら、2万人(0.02%)程度しか死なないのかと。マグニチュード9なんて冗談じみた数字を名乗っておいて、たかだか原子炉ひとつと町幾つかしか壊せないのかと。

3.11以後、なんて括られる作品を観ると良い。例えばシンゴジラなんて、怪獣がわざわざ東京の私鉄沿線沿いを破壊してまわる話だ。日本のお偉いさんが乗ったヘリを、かっこいいビームで墜落させる話だ。もともと怪獣映画はそういうもので、名跡と高層建築をバカスカ壊すのが怪獣の仕事である。けれど、あの映画は日本をちゃんと描いた。だからあの物語の中で、日本は、東京は、ちゃんと壊れた。東京が壊れたということは、東京に本社を置くあらゆる会社が被害を受け、東京を経由する物流がダメージを負い、東京に通う学生がみんな被災してということだ。あの映画のフッテージ群は、都民が3.11へ不満を表明しているに過ぎない。おれもちゃんと、避難に、災禍に、被害に混ぜてくれよ、と。お前らだけ盛り上がって、仲間外れはズルいじゃないか、と。そういう映画だ。そういう映画が流行った。

ただ、3.11は正直その辺のフィクションと比べてもそんなに面白い訳ではない。けれど、つまらないワケではないし、最近のできごとでは最も知名度が高くてセンセーショナルだ。だから、手軽にリアリティを引き出せる演出として、あの手この手で粉飾され、引喩され、仄めかされるハメになる。その虚構は、なまじっか現実志向なだけに残酷だ。

つまり「戦後」、少なくとも核兵器が落ちてこない世の中で、日本人が持つことのできる最も大きな絶望があの災害だった。にもかかわらず、それはあまりにも限定的で、小さく、制御可能だった。我ら人間が必死で作り上げた平和な日常は、観測史上最大の災害を以てすら壊すことができなかった。

それは、絶望足りえなかった。

なにも終わらない。変わらない。どうにもならない、それなのにテレビだけがやかましい。被害を受けなかった人たちはもちろん、きっと被害を受けた人々も、安全なところから来たアイドルが「がんばってください!!」なんて歌って踊るのを見て、況やそれに「励まされました!!」とかいう野郎が全国中継されるのをみて、そう、思っただろう。

この世の終わりみたいな顔をするなら、ちゃんとこの世の終わりを現前せよ、と。おれたちが夢見るアポカリプスの風景はいったい全体どこにあるんだ、と。みんな、必死に仕事して、その傷跡を修復し、日常を回復させようと努めながら、そう思うのだ。